星を見上げるのが遅かった
角館と秋田美人
秋田美人は本当にいるのか。
答えは「はい」だ。
ただし、それは顔立ちだけの話ではない。ふとした仕草に品がある。言葉の選び方がやわらかい。声を荒げずに人を動かす。困っている人がいれば、大げさに助けるのではなく、何でもない顔をして先に動いている。そういう女性が、この辺りには普通に、大勢いる。
雪掻きをしている後ろ姿でさえ、背筋が伸びている。寒い朝に道で会えば、こちらが気付くより先に会釈が飛んでくる。秋田の言葉は語尾がまるい。同じ「んだ」の一言でも、言う人によって場の空気が変わる。あれは訓練で身につくものではないと思う。
多すぎて、気付かなかった。
いや、これが世の中の普通なのだと思い込んだまま、五十年以上を過ごしてしまった。
子供の頃からそうだった。
同い年にも、少し年上にも、うんと歳の離れた人にも、私はいちいち魅了されてきた。
これが当たり前なんだと思っていた。
それが間違いだった。
当たり前ではなかったこと。それこそが秋田美人の正体なのだと思う。角館だけの話でもない。この周辺には、秋田美人が多すぎたのだ。
同級生という反則
中でも始末が悪いのが同級生である。
中学の頃を思い出す。廊下の窓際で友達と笑っている横顔。給食を配るときの、手つき。体育館の冷たい床に座って、寒そうに膝を抱えている姿。何をしていても、こちらは目が離せなかった。教科書の内容はひとつも覚えていないのに、そういう場面ばかりが妙に鮮明に残っている。
それだけなら、若い頃の話で済んだ。
問題は、今のほうが魅力的だということだ。
還暦の近い同級生に会うと、驚く。若さで勝負しなくなってからの品というものが、確かにある。酒を注ぐ手つき、酔った男の下らない話を最後まで聞いてやる辛抱強さ、人の名前と、その家の事情まで覚えている記憶力。誰が調子を落としているかを一番先に察するのも、たいてい女性のほうだ。
帰り際、「転ぶなよ」と言われる。
ただの挨拶である。分かっている。分かっていても、こちらは一晩それで持つ。
なんとまあ、魅力的な女性の多いことか。歳を重ねた分だけ、その良さがはっきり見えるようになってしまった。見えるようになった頃には、全員、他所の家の人である。
星の数という嘘
博多も同じだった。出かけるたび、すれ違うたびに魅了された。〇〇美人と昔から言われる土地には、やはり本当に美人が多い。あれは言い伝えではなく、事実だと断言できる。
不思議なもので、その集合体であるはずの東京では、そう感じたことがなかった。東京の女性が劣るという意味ではまったくない。美しい人はいくらでもいた。ただこちらが通りすがりの田舎者で、立ち止まって人を見るだけの資格も余裕も持っていなかった、それだけの話だ。人の魅力というのは、たぶん、こちらの足が地に着いていないと見えない。
若い頃、「女性は星の数と同じで無数にいる」と言われて、私は安心していた。急ぐ必要などない、いずれどこかで、と。
老いぼれてから、ようやく気付いた。
確かに星の数ほどいる。そこは間違っていない。
間違っていたのは、その無数がそのまま自分の話だと思い込んでいたことだ。星は無数でも、私が手を伸ばせる星は、はじめから数えられるほどしかなかった。しかもその一つひとつには、出会うべき時期というものがあった。
私はそれを、全部すり抜けさせてしまった。
おまけに私は、中二病ならぬ「不二の病」、いわゆる「寅さん病」を患っている。惚れて、舞い上がって、肝心なところで何も言わずに帰ってくる。あの病に効く薬は、いまだに発明されていないらしい。
特に同い年の女性には、今でも顔向けができない。ワラシの頃、魅了され過ぎて、どう扱っていいか分からず、いじめるという一番愚かな形でしか気持ちを出せなかった。あれは相手にとって、ただ嫌な思い出でしかないだろう。四十年以上経っても、その借りは返せていない。
判決
先日も、同級生と顔を合わせる機会があった。
隣に座るなり、笑いながら言われた。
「オメ、ワラシの頃、いじわるだったモンな」
四十数年ぶりの判決である。しかも笑顔付きだ。
本当は、その場で「ワリがった」と頭を下げればよかった。あるいは、あれは惚れていたからだと言ってしまえばよかった。この一言のために四十数年待っていたようなものである。
ようやく巡ってきたその機会に、私の口から出たものは、何もなかった。
睨んでいるわけではない。恥ずかしくて声が出ず、ただ相手の顔を見返しているだけだ。傍から見れば、笑いかけられて黙り込んだ、無愛想なオヤジである。四十数年かけて用意した答弁が、これだ。
寅さんなら、ここで旅に出る。
私は頭の中でパニックを起こしながら、苦笑いのまま、宴会が終わるまでその席に座っていなければならなかった。
帰り道、空を見上げた。
同級会というものは、たいてい冬にある。星などひとつも見えない。灰色の空があるだけで、そこから白い粉雪が落ちてくる。
無数にあったはずの星は、もう見えない。
代わりに地球が「ホジネな」と粉雪を落としてくる。
顔に当たると、ヒャッこい。