角館の良いところを、数日考えた
サイトに角館というジャンルを追加した。追加した以上は何か書かなければならないので、まず良いところの記事を書こうと思った。批判をするなら、良いところを知った上でするべきだと思ったからだ。
数日考えた。何も出てこなかった。
自分の頭が固くなっているのかもしれないと思って、AIに聞いてみた。角館に良いところはあると理解しているか、と。返ってきたのは、一六二〇年の町割りがほぼそのまま残っていること、桧木内川堤の桜並木と武家屋敷のシダレザクラ、そして樺細工だった。どれも間違ってはいない。実際にあるものだ。
ただ、読んでいて気づいたことがある。挙がってきたものは全部、訪れる人が消費するものだった。住んでいる人間の暮らしが良いかどうかとは、別の話だ。私が数日考えて何も出てこなかったのは、たぶんそちらの側なのだ。
思い返せば、これは今に始まったことではない。小学生の頃、私の夢はキングサーモンを釣りながらカナダでログハウスの仕事をすることだった。矢口高雄の釣りキチ三平の影響をまともに受けていた。しかし三平の舞台は秋田で、私は実際に桧木内川に通って竿を出していた。同じ川で釣っていながら、思い描いた行き先はカナダだった。難病になるより前から、他県で暮らしたいと思っていた。
つまり私は角館が嫌いなのか。それとも、ここに居たくなかっただけなのか。長いこと、はっきりさせずにきた。今も答えは出ていない。ただ、あの頃に嫌だったのは角館という土地そのものではなく、ここに居る限り自分の話がその先へ行かない、という感じの方だったのだろうと今は思う。ログハウスもキングサーモンも、角館の裏側にあるものではなく、角館では続きが無いものだった。
そして今、私は角館に住み着いている。
この町の何が住みにくいのかを、はっきり言葉にしてくれたのは、実は地元の人間ではなかった。他県や他町内から移ってきた人たちが、口を揃えて人付き合いがし難いと言っていた。私も同じことを感じていた。お祭り絡みの町内のしがらみ、隣の家とのイザコザ、そういうものはこの町では普通のことだった。
ここが大事なところで、外から来た人が、私とは別々に、同じことを言っている。ということは、これは誰かの性格の問題でも、相性の問題でもない。町の構造から出てくるものだ。
角館の町内は、二重の意味を持っている。住んでいる区画であると同時に、曳山を出す実行組織でもある。この二つが重なっていると、近所付き合いから降りるという選択肢が消える。都会なら、隣と揉めたら距離を置いて終わりだ。ここでは、その隣人と八月から準備をやり、九月に一緒に曳山を引くことになる。しかも角館のお祭りは、町内同士がぶつかることが行事そのものに組み込まれている。内側では結束を要求され、外側とは対抗する。人間関係の圧力としては、かなり強い設計だ。
だから、桜も武家屋敷も樺細工も、埋め合わせにはならない。人付き合いの負荷は毎日かかるもので、桜は二、三週間だ。釣り合わない。
それでもこの町に住み着く人はいる。人付き合いが好きか、上手い人なのだろうと思っていた。だがよく見ると、住み着いた人ほど、角館のお祭りに参加するかしないかがはっきりしている。客商売を重視して全く興味を示さないか、その逆か。中間がいない。
なぜ中間が無いか。中間が一番高くつくからだ。町内には軽い会員という等級が用意されていない。半端に付き合うと、内側の義務は全部かかってきて、それでいて外様扱いは消えない。持ち出しだけが増えて、立場は手に入らない。だったら全部やるか、最初から一切関わらないと決めてしまう方が、どちらも安く済む。人は放っておけばそうやって振り切る。
そうすると、旧町内から人が減っていく順番も見えてくる。消えていくのは、たぶん振り切れなかった人からだ。付き合いを大事にしようとする人ほど中間に留まろうとするので、消耗も一番大きい。
嘘か真か、こんな話も聞いた。ある町内では、そこに住んでいる人間が誰一人、お祭りの責任ある立場には関わっていない。それなのに寄付は求められ、新しい曳山を作ってくれと言われれば、外から来る参加者の言うがままに対応しているという。これに似た形は、ほかにもあるだろうと思っている。
住んでいる人がまともに参加していないのなら、出すこと自体をやめるのも考えていいはずだ。少なくとも私はそう思う。だが、その言葉が実際に出てくることはない。
ここで、出せない理由を当事者の気の弱さに求めるのは、間違いである。
曳山を出す側と、出費を賄う側が、別々の人間になっている。負担する人に決定権が無く、決定する人に負担が無い。この形になった組織は、放っておけば必ず負担側が先に潰れる。面倒だという言葉は、弱音ではなく事実の報告だ。
私は寄付を集めて回ったこともある。そのときに断られた家がいくつもあった。うちは生活に余裕がなくなった。お祭りには参加しないことにした。お祭りに参加する人がいなくなって。言い方はそれぞれ違うが、行き着くところは同じだ。出すだけの側になった家から、順に離れていく。
私の家も出していた。寄付が一万円、ヤヤ(町内)回りには酒二升とお布施が三千円から五千円。私がお祭りに参加しなくなってからも、しばらくは一万円を出し続け、やがて五千円にし、三千円に下げた。すると翌年から、寄付を集めに来なくなった。
一万円のうちは毎年来て、三千円になったら来ない。だとすれば、あれは町内の一員かどうかという話ではなかったのだろう。金額の話だったのだ。
そして、なぜやめようと言い出せないのか。やめる側のコストが、個人に、一回で、全部かかる形になっているからだ。続ける負担は町内全員に薄く分散して毎年少しずつだが、やめようと言った瞬間の負担は、言った一人に集中する。しかも角館では、その一言を言った人間が誰だったかを、みんな一生覚えている。引っ越して逃げることもできない。この非対称がある限り、全員が内心反対でも、誰も言わない。黙るのが合理的なのだ。
ここまで来て、一つ思い当たることがある。
たぶん全員が、自分だけがそう思っていると思い込んでいる。本当は誰も続けたくないのに、みんなは続けたがっていると各自が誤解しているので、支持者がゼロのまま行事だけが残る。これは珍しい現象ではなく、集団の中でわりと普通に起きることらしい。
昔のしきたりを通すべきだ、という声はこの町でよく言われる。だが、本気でそう思っている人の数は、聞こえてくる声の量よりずっと少ない可能性がある。誰も言い出さないので、誰も確かめたことがない。
提案があるとすれば、必要なのは誰かが勇気を出すことではない。数を数えることだ。町内の全戸に紙を配って、無記名で書いてもらう。それだけで、言い出しっぺの問題は消える。実際にやらせてもらえるかは別の話で、そこが一番の壁だろうが、少なくとも誰も言えないという状態を解く鍵は、勇気ではなく手続きの側にある。
ただ、ここまで書いて自分で引っかかった。数百年続いてきた行事を、紙切れを集めた結果で左右させたいわけではない。これは神様を祀るための行事だ。神明社にも薬師堂にも失礼な話だし、その土地に根を張ってきたものに対して、無礼以外の何物でもない。
だから、数えるとすれば行事の存廃ではない。負担の方だ。奉納そのものは神事だが、曳山を何年ごとに新造するのか、誰がいくら出すのか、住んでいる人が誰も参加していない町内が金だけ出し続けるのかどうか、それは人間の側の取り決めでしかない。神様は寄付の割り当て方までは決めていない。そこを一度も口に出さないまま来たことが、いま人を減らしている。
結局、角館の良いところの記事は書けなかった。
書けなかったこと自体が、この町についての情報だと思っている。良いところというのは探して見つけるものではなく、勝手に目に入るものだ。数日考えて出てこなかったのなら、今の私には目に入っていないということでしかない。
あるとすれば、それは昔の思い出の側にある。五十年以上、うちに本を配達してくれている本屋がある。人口の多い町では、そういう関係は成立しない。あの人付き合いの濃さが息苦しさを生んでいるのと、同じ構造から出ているものだ。同じコインの裏表なのだと思う。
密度が高いから続く。角館のお祭りが四百年近く続いてきたのも、たぶん同じ理由だ。人が抜けられないから、続く。
ただ、それは我慢しろという話ではない。続いてきたこと自体が、そこに住む人の暮らしを保証するわけでもない。移住してきた人が同じ感想を持って帰っていくなら、それは町にとって本当は一番聞くべき情報のはずだが、たぶん一番聞かれていない情報でもあるのだろう。