「ネイティブ」という幻想を超えて
前回の拡張機能の日本語翻訳を通じて、ふと思い出したことがあります。それは、よく耳にする「ネイティブな英語に翻訳する」という言葉についてです。でも、それって本当に正しいことなのだろうか?と、ふと疑問に思うのです。
これは、英語ではなく「日本語」に置き換えるとすごく分かりやすくなります。
日本でネイティブ、あるいは標準語といえば、東京都や関東圏の人たちが話す言葉を指すのが一般的かもしれません。でも、それが日本のすべて(正解)かと言われると、違うと思うのです。これは私的な考えですが、秋田弁、大阪弁、関西訛り、九州訛り、博多弁、京訛り……。そうした豊かな方言たちを代表しているのが標準語というだけで、各地方の言葉を文章化するのが難しいために「基準」が必要になっただけのことではないでしょうか。
私は難病になる前、日本各地を旅した経験があります。そこで触れた地域の方言には、本当に心惹かれるものがありました。イントネーションが少し違うだけで、これほどまでに感情の伝わり方が変わるのかと驚くほど、方言には良さがあることを知りました。
英語もそれと同じです。言語コード en-GB(イギリス英語)を基準にしても、世界にはこれだけの英語があります。
・en-US: アメリカ
・en-CA: カナダ
・en-AU: オーストラリア
・en-NZ: ニュージーランド
・en-IE: アイルランド
・en-IN: インド
・en-SG: シンガポール
・en-PH: フィリピン
...他にも南アフリカ(ZA)やパキスタン(PK)など、数えきれないほどの en-* が存在します。
最近ではAIによる翻訳も進化し、英語の「訛り」はもはや無数に存在します。だからこそ、特定の「ネイティブ」という型に固執する必要はない気がするのです。そう思うのは、私だけでしょうか。
結局のところ、一番大切なのは、誰かに伝えたい文章を、できるだけ適切に、そして綺麗な言葉で伝えること。それこそが本質だと私は信じています。