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お祭りを辞められた訳

| Alaudae.JP

角館に住んでいれば、誰でも好きになる、夢中になれる行事がある。
一つは花見、そしてお祭りだ。

私も角館人として、花見もお祭りも大好きだった。
けれどある時を境に、お祭りが嫌いというより、まったく興味を持てなくなった。
もうすぐ還暦だし、参加しなくなってから三十年が経った。時効ということで、その理由を書いておこうと思う。

人の噂ほど怖いものはない。
出世争いに負けたとか、逃げ出したとか、町内に愛想を尽かしたとか、いろいろ言われているようだが、どれも全く違う。
今から書くことは、これまで誰にも話したことがない。(いや、あるかも知れないが)

簡単に言えば、京都で「角館のお祭り」が日本一汚いお祭りだと気付いたからです。

1994年(平成6年)、平安建都1200年を記念した「全国祇園祭山笠巡行」が開催され、角館のお祭りも参加しました。
ちなみに昭和四十四年生まれの私は、その年に二十五歳。辞めたのは二十五から二十七の頃ということになります。
今から約三十二年前ですから、仮に二年後に辞めたとしても、三十年は経っている計算です。
そしてこの「全国祇園祭山笠巡行」こそが、私にお祭りを辞めさせたキーワードになります。

私はその巡行に参加した一人です。
そして、そこへ行くまで「角館のお祭りは日本一だ」と信じて疑わなかった人間です。

勘違いでした。
音色と踊りは、確かに日本一と言っていい。そこは今でも譲るつもりはありません。
けれど肝心の曳山は最低で、引き廻しも最悪だった。参加した本人が、そう実感しました。


私は曳山の準備で前乗りしていたので、全部を見て回ったわけではありません。
それでも自分の作業の傍らで、他所の曳山の準備は目に入ります。

興味深く、ただ驚く以外にありませんでした。
丁寧な梱包箱にしまわれた部品を、一つひとつ取り出して組み上げていく。大きくてゴツい曳山も、大事に大事に扱われている。
一方、地元の曳山はどうか。他町内の準備とはいえ、やることは基本的に同じはずです。
なのに、大事に扱うより、いかに簡単に素早く組むか。曳山への愛情がまるで感じられない。

この時の違和感が、いまだに忘れられません。

そのまま宵日。
地元の曳山同士が向かい合っただけで、イザコザが始まる。
はぁ?と思いました。京都まで来て、誰にも分からんような理屈で、なぜ揉めるのか。
止めに入りました。当人たちは「お構いなし」。それどころか一人は、今までの恨みを京都で晴らすとでもいう勢いで喚き散らしている。
それでも恥を晒したくないので、もう一度止めに入ったら、今度は同じ町内の先輩に「そんなもん、ほっとけ。止めに入るな」と怒鳴られました。

確かに私ら町内の揉め事ではないから、放っておいてもいい。
でも、わざわざ京都まで来て、角館の「ホジネ」な一面を晒す必要が、どこにあるのか。

結局、いつもの様に訳の分からんまま終わったようですが。


そして翌日は曳き廻しで練り歩く。ここでも気になることがありました。

大勢の観光客の目の前で曳山を動かし、停止しては、踊りを見せる。それはいい。
問題はその間、我々が曳山の下で缶ビールをぐいぐいやっていることです。

踊りを見せるために停止している間、下で酒を煽る。そしてまた動かす。その繰り返し。
意味がない。
あれだけの観光客が、上では華やかな踊りを見て、目線を下ろせば若衆が浴びるように酒を飲んでいる。あれを見て華やかだと思うのだろうか。そこに疑問を感じてしまったのです。
角館のお祭りは、観光目的の引き廻しになった途端、曳山を動かす意味が消えて、やる気も失せて、つまらなくなる。

確かに観光向けの引き廻しは以前もやっていました。それでも、この時ほどつまらないと感じたことはなかった。

そんな気持ちのまま観光用の曳山ぶつけを終え、後片付けに移ります。
ここでまた、嫌な、惨めな気持ちになりました。

他所の曳山は、丁寧に解体を始めていました。当日で終わらせるつもりなどなく、翌日以降まで掛けて外していく作業です。
うちの曳山は、人形を外したら、あとの飾りは素手でバリバリ剥がす。
地元では普通の行為です。私だってずっとそうしてきた。それでも、この時ほど虚しい作業に感じたことはありません。

日本一とは何なのか。
日本一が、日本一最低なお祭りに変わった瞬間だったのかも知れません。


それが引き金だったのでしょう。
何に対しても「こうすべきじゃないか」と反対することが多くなり、このままでは自分が持たないと思いました。

それに、一歩間違えば死亡事故が出てもおかしくないお祭りです。
このまま続けていたら、自分が人を殺すか、自分が死ぬのではないか。そう思うようになったのも、この頃でした。
けれど、そんなことは言えないし、言わない。口に出せるようになったのは、ここ十数年のことだと思います。

また当時、本番の後や賑やかしの曳山が通り過ぎた後に、空き缶やゴミ屑が散乱していたことを知っている人は多いはずです。
それも凄い量で、特にビールの空き缶。
そしてそれを片付けていたのは、当事者の曳山ではなく、そこに住む町内の人たちでした。
理由は簡単で、掃除しないと生活できないし、衛生的にも悪いからです。
当事者の曳山が自分で掃除するようになったのも、その辺りからだったでしょうか。覚えておく気もなかったので忘れましたが。

そして最終的な引き金が、曳山の後ろに台車を同行させる行為です。
あれが、お祭りの醍醐味を崩したのではないかと、私は思っています。

神様が宿る曳山の背後に、なぜ荷物置き代わりの台車が付いて回るのか。
しかも、いつの間にかそれが昔からの決まりごとのような顔をしている。不思議でなりません。
台車が有るか無いかで、曳き方も見え方も変わるはずです。それを承知で附帯させるから、お祭りがつまらなくなった。
気付いているのか、いないのか。私には分かりません。

どこが始めたのかは知っていますが、問題はそこではありません。

単に自分たちを楽にしたくて附帯させたのだ、ということに気付いていない。気付いても終止符を打とうとしない。
昔から「他がやっているんだから、うちもやる」の流れだから、タチが悪い。
そして「他はやっているのに、うちがやったら悪いのか?」と言われれば、誰も修正しようとしないし、話し合いにもならない。いつも申し送りで終わる。
結局、対曳山交渉と同じで、出まかせ、屁理屈、言ったもん勝ち。その風流がいまだに続いているだけではないかと思います。

こういうことを書けば「ヘェ〜、対曳山交渉ねぇ。でも貴方は観光ぶつけの交渉で、何も言えなかったんでしょ」と言う人もいるでしょう。それは事実で、その通りです。
ただ、あれは想定していないことを急にやれと指示され、性格的に何も頭に入らず、口から何も出せなくなっただけのことです。
ああいう即興の交渉が苦手だとは、誰も思わない。
むしろ、私が苦悶している姿を笑いたかったんだろう、としか思っていません。

あとお祭りの期間中に、自分が楽しめて満足できれば、それで終わり。この思考も良くない。

でも、そんな理屈を知らず、ただ純粋に参加できていた頃のお祭りは、本当に楽しかった。

別の現実を知って嫌気がさしたところへ、自分が思うようなお祭りにはなりそうもないという諦めが重なり、ゴミの散乱と台車の同行で、参加する気が完全に失せました。

だが、それでも好きなお祭りでしたから、しばらくは燻り続けて、あーだこーだ言いながら街中をぶらついていました。
病気が酷くなってからは、街に出かけることもなくなった。
そして今は、完全に興味がなくなりました。

辞めて三十年以上経った今、言えることは一つで、やはり辞めて良かった。
さらに言えば、もっと早く気付いて、別の楽しみを見つけるべきだったと思うくらいで、後悔は全くしておりません。

最後に一つだけ。
これは昔話がしたいわけでも、誰かを責めたいわけでもありません。

角館のお祭りを良くしたいなら、一度、他県のお祭りを自分の目で見てくることです。
外を見なければ、何が足りないかは分かりません。
私がそうでした。京都へ行くまでは、うちが日本一だと信じて疑わなかったのですから。

今このお祭りを楽しんでいる方が、一度立ち止まって考えるきっかけになれば、書いた甲斐があるというものです。