AIに「私のサイト、なんで検索されないの?」と毒を吐いたら、返答が残酷で笑いが出た ーその二ー
前回の投稿から数週間。相変わらず私のサイトは検索結果の「10ページ目の向こう側」という、もはや無人島にすらなっていない異次元を彷徨っています。
先日、また懲りずにAIを問い詰めてみたんです。「広告を貼らないのは私の矜持だ。でも、中身は誰よりも濃いはずだ。なぜ無視される?」と。
すると、前回の「広告=信頼」説をさらに上回る、今のネット社会の「終わってる構造」を暴露されました。
1. AIが明かした「選別」のカラクリ
AIが平然と言い放ったのは、もはや「内容の良し悪し」なんて土俵には誰も立っていないという残酷な事実でした。
「AI要約(SGE)の生贄」にすらなれない
・今のGoogleは、ユーザーがサイトに訪れる前にAIが回答を出し切ります。つまり「AIが読み取って要約しやすい、無個性で定型的なサイト」こそが優遇される。私の書くような「癖のある文章」や「行間を読む美学」は、AIにとっては「ノイズ」でしかないそうです。
「リンクの貴族社会」という閉鎖病棟
・大手企業や有名メディア同士が相互リンクでガチガチに固めた「貴族の輪」に入っていないサイトは、どれだけ正論を吐いても「エコーチェンバーの外側にいる不審者」扱い。孤高であることは、検索エンジンから見れば「孤立(リスク)」でしかない。
つまり、読者のために「スッキリ見やすく」していた私のこだわりは、検索エンジンから見れば「やる気あんの?」という低評価に繋がっていたわけです。
2.「便利さ」が殺した、探求の楽しみ
AIの回答を聞いていて、あることに気づきました。今の検索エンジンが求めているのは「正解」ではなく、「摩擦のない消費」なんだと。
「考える」ことを邪魔するサイトは不要
私のサイトのように、読者に「これってどういうことだろう?」と考えさせる構成は、検索エンジンからすれば「ユーザーの利便性を損なう障害物」。
10秒で読めないなら「ゴミ」
結論を最初に書き、感情を削ぎ落とし、箇条書きで並べる。そんな「感情の去勢」を済ませたコンテンツだけが、上位という名の特等席を許される。
つまり、今のネットは「情報のマクドナルド化」。どこに行っても同じ味、同じ見た目。そこに「こだわりの手料理」を出す個人店が混ざる余地なんて、最初から用意されていないんです。
3. 私は「情報のファストフード店」にはならない
AIは最後に、こう付け加えました。
「効率的にアクセスを稼ぎたいなら、あなたの『個性』を捨てて、AIが読みやすいテンプレートに変換することをお勧めします」と。
……お断りだ、そんなもん。
私の文章は、AIに要約されるためにあるんじゃない。画面の向こうにいる生身の人間と、火花を散らすために書いているんです。
検索エンジンという名の「独裁者」に気に入られるために、自分の魂を薄めて薄めて、誰にでも飲み込める泥水にするくらいなら、私は一生、検索の砂漠で砂を噛んでいたい。
「見つからない」ということは、ある意味で「選ばれた人しか辿り着けない」という究極のブランドです。検索順位に一喜一憂するのをやめた瞬間、私は自由になれました。
今日も、検索エンジンの機嫌を損ねるような、最高に「ノイズ」に満ちた一文をここに残します。