反対したのは、一つの若者だけだった
曳山は、法律の上では「特殊な車」として扱われます。だから角館のお祭りの前には、どの道をいつ通るのかを書いた運行の予定表を、あらかじめ警察に出すことになっています。日にちと時間、通る道筋。紙に書いて、出す。今ではそれが当たり前で、誰も疑いません。
けれど、当たり前でなかった時期があります。
角館のお祭りには、決められた全日程の時間割も、決まったコースもありません。曳山同士が道でかち合えば、どちらが先に通るかを「交渉」で決めます。話がまとまらなければ、その場で一時間でも二時間でも押し問答が続きます。決裂すればぶつけ合いになり、そこにも終わりの時間はありません。決着がつくまで、あるいは双方が納得するまでやります。
つまり、終わりが読めないのです。読めないものを、紙に書いて先に出せと言われている。無理があるのは最初から分かりきっています。
では、なぜそんな話になったのか。私のうろ覚えでは、いつまでもぶつけ合いを続けるので、警察がとうとう呆れて時間の話を持ち出した、というのが始まりだったように思います。ここは記憶があいまいで、意味が違っているかもしれません。ただ、そういう空気だったことは覚えています。
ここで一つ、外の人には分かりにくいことを書いておきます。角館で曳山を出しているのは、町内(丁内)や通りの単位だけではありません。「若者」が出している曳山もあります。
私が参加していた若者を例にすると、こういう形です。もとになる町内が三つあり、その三つの中から、お祭りに出たい若い者が集まって一つの曳山を動かしています。町内が「出せ」と命じて出させるのではありません。若者の側が三つの町内を回って寄付を募り、そのお金で曳山を出しています。
ですから、三つの町内は若者の曳山に協力はしますが、権限は一切持ちません。口も出しません。本当に、出たい者が集まって動かしている曳山です。
そして、騒動になりました。地元の新聞にもテレビにも出ました。
私はまだ高校生くらいで、細かい経緯までは分かりません。それでもはっきり覚えていることが一つあります。最初から全部が反対したのではありません。反対したのは、一つの若者でした。しかも、当時の警察署が建っていた、その一帯の若者が反対したのです。だから大きな話になりました。
私も、それは正しいと思っていました。警察如きに、祭事の時間を管理されてたまるか。そう思っていたからです。
けれど警察は動きません。運行の予定を出さないのなら、祭典には参加させない。頑として、そう言い続けました。
そりゃそうだ、と今なら分かります。中から見れば、昔から続いてきた厳格なお祭りです。役所や警察にとやかく言われる筋合いはない。そう思う気持ちは本物です。でも外から見れば、酒を飲みながら曳山をぶつけ合い、止めなければいつまでも終わらない。道路はふさがったまま。これはやはり異常に見えるし、迷惑でもあるし、鬱陶しくもある。目に余るという言い方は、決して的外れではありません。
実行委員会だったのか、責任者の会議だったのか、そこは私には分かりません。ただ、話し合いはずいぶん行われたと聞いています。そして最後まで反対していたのは、その一つの若者だけでした。
最後にその責任者が言ったのは、こういう趣旨のことだったと記憶しています。
「参加する若者の楽しみを奪う権利は、私には無いから、提出した」
「若者」というのは、つまり私が参加していた曳山のことです。自分の主張を通せば、若い者が祭りに出られなくなるかもしれない。だから一歩下がって、参加できる形を選んだ。そういうことです。
このとき、当時の年配の人たちを本当に誇らしいと思いました。言いたい意見はハッキリ言う。それでもダメなら、今後のために引き下がる。そういう人たちだったから、お祭りが熱くなったのだという気がします。
ただ、話はここで終わりません。
その同じ人たちが、会議については嘆いていました。実行委員会だか責任者会議だか、名前はどうあれ、そこで行われるのは「ほとんど申し送り」だと。前の年に決まったことをそのまま読み上げて、そのまま次に渡す。それなら会議をする意味はまるでない、と。
私は、それが今へのツケになっていると思っています。あのとき言うべきことを言い切り、決めるべきことを決めていれば、運行の話も安全の話も、もう少し自分たちの形で持てたはずです。申し送りだけを繰り返してきた結果、決まりごとの根拠がどんどん曖昧になっていきました。そして曖昧になっていることに、当の中にいる人たちが気づいていない。
後年、お祭りの現場で亡くなった方が出ました。それからは安全対策の委員会ができ、時間の管理も届け出も、以前よりずっと厳しくなりました。守るための決まりが増えていくのは当然のことです。けれどその決まりを、外から言われて受け取るのか、自分たちで考えて置くのかで、意味はまるで違います。
言われたから守る、去年もそうだったから今年もそうする。それを続けていけば、決まりの数だけは揃っていきますが、なぜそうするのかを誰も言えなくなります。厳しいことを言えば、見た目だけが綺麗で、中身が無いお祭りということです。
私は参加をやめるまで、たまにこの一件を思い出しては、こう言っていました。
「こんなもんネばヒャ、もっと面白へのに」(こんなものが無ければ、もっと面白いのに)
今は少し違うことを思います。無ければ面白かった、ではなく、あのとき、ちゃんと話し合っておけばよかった、ということです。
この話はインターネットで拾えるものではありません。私の記憶だけを頼りに書いたので、間違っているところもあるはずです。それでも、十のうち六か七は正確に伝えられていると思います。
誰も話さないし、記事にもならない。だから書きました。
(ちなみに、このとき反対した責任者は、のちに自説をまとめた本を出しています。調べればわかることです。)