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実行委員会も責任者会議も、後から付けた

| Alaudae.JP

前に「反対したのは、一つの若者だけだった」という記事を書きました。その中で私は、話し合いをした場が実行委員会だったのか責任者会議だったのか分からない、と書きました。

分からないと書いておきながら放っておくのも気持ちが悪いので、調べてみました。そのうえで、私なりの見方も書いておきます。


まず、名前だけは知られている二つの組織です。ここは私の記憶ではなく、仙北市の公式ページを参考にします。

なお、仙北市の公式ページを使うのは、角館のお祭りそのものの公式サイトが無いからです。国の重要無形民俗文化財で、ユネスコにも登録されているお祭りに、今どき専用のサイトが無い。摩訶不思議だと思うのは、私だけでしょうか。

一つは「角館祭りのやま行事実行委員会」です。角館のお祭り全体を運営する組織で、これを構成しているのは、角館のお祭り保存会、角館祭禮張番協議会、曳山責任者会議、仙北市商工会、仙北市、仙北市教育委員会、そして事務局を務める田沢湖・角館観光協会です。観光客への案内、仮設のトイレ、交通規制、安全のきまりごと。全体を取りまとめる側だと思ってください。

もう一つが「曳山責任者会議」です。実行委員会を構成する団体の一つで、各丁内の曳山責任者が集まる、もっと現場に近い会議です。

この二つの関係が分かる記述も残っています。感染症の流行が続いていた年の告知では、曳山責任者会議が夏のうちに感染症と熱中症への対策のガイドラインを策定し、それを後日開かれた実行委員会が内容を確認した、という流れが書かれています。作るのが責任者会議、確認するのが実行委員会。記録に残っているのは、そういう動きです。


ただ、ここで引っかかります。

責任者会議は参拝や奉納の順番を決める場だ、という説明を目にすることがあります。けれど、そう書かれた市の資料は見つかりません。それどころか、公の資料のほうには、曳山それぞれの参拝経路は決まっていない、だから途中で鉢合わせて交渉が成立しなければやまぶっつけになる、とはっきり書かれています。

私の知る限りもそのとおりです。順番として決めているとすれば、佐竹への参拝の順番くらいのものです。あとは決まっていない。決まっていないから、当日その場で交渉になるのです。

では、この会議は何をしているのか。残るのは運行のきまりと安全の取り決めです。年に一度ガイドラインを作り、実行委員会がそれを確認する。それが記録に残っている姿です。

それを悪いとは言いません。ただ、それにしても、形だけの申し送りで終わっているように見えます。少なくとも私は、あの会議で何かが決まった、あの場は重かった、という話を聞いたことがありません。

一つだけ、記録に残っている例があります。前の記事に書いた、あの事故があった年です。実行委員会の側が書き残した文章に、前の年は終了の予定時刻を大幅に超えたので各丁内に時間短縮をお願いした、しかし結果は前の年と同じくらい時間がかかった、事前の打ち合わせ事項が当日はなかなか実現できなかった、という趣旨のことが書かれています。

決めたことが、当日は守られない。それが分かっているのに、次の年もまた同じように決めて、また同じように守られない。これでは、決める場があるとは言えません。


正直に書きます。私には、この役回りの意味がよく分かりません。というより、お祭りを進めるために仕方なく付けたもの、という考えしか浮かばないのです。

三日間のためだけの役職です。本来なら無くても良いはずです。けれど、間にこれを挟まないと、外に対してお祭りが成立しない。警察にも、市にも、観光客にも、話をつける窓口が要る。だから設けた。そういう感じがしてなりません。

もちろん、そこに責任者級の人が座っているのは間違いありません。人が軽いという話ではないのです。ただ、これらは後からできたものです。安全対策の委員会に至っては、前の記事に書いたとおり、私が辞めたあとにできたものです。少なくとも、元からある役職ではありません。


ここが、しきたりとしてはもう矛盾しています。

本気で考えれば、昔からある役職をうまく使えたはずです。

曳山には、もともと役があります。全体を仕切る責任者と、ほかの曳山と話をつける交渉員。この二つには襷があります。誰が何の役なのか、外から見て分かるようになっているのです。

そして交渉員の中には若者頭という呼び名もあります。つまり、役の中に役がある形が、すでにあるわけです。

念のために書きますが、責任者という役そのものは昔からあります。後からできたのは、その責任者が丁内を越えて集まる会議のほうです。

だとすれば、外側に新しい会議や委員会を足さなくても「何々の交渉員」という形で必要な役を増やしていけたのではないか。私はそう思うのです。ここは私の思いつきですし、細かいところは違っているかもしれません。

それをせずに、外に新しい組織を作ってきた。だからこの時点で「昔からのしきたりを守っている」という言い分は、もう通らないはずなのです。

なお、実行委員会と責任者会議がいつできたのかは、探しても分かりませんでした。少なくとも、公になっている資料には書かれていません。昔からあったのなら、いつからあったのかくらいは残っていて良さそうなものです。

ことわっておきますが、本格的な調べものをするつもりはありません。図書館に通って紙の資料を当たるようなことはしない、ということです。私の頭の中にある記憶と、ネットで拾える分。この記事はそれだけで書いています。


後から付けたものは、これだけではありません。

「少年班長」という役があります。中学三年生が務める、曳山を曳く子供たちのまとめ役です。曳山を出す若者は年齢による厳しい階級で動いていますから、子供から大人の若者へ上がる、その手前の役ということになっています。

これも、元からあったものではありません。一九八一年、私が中学一年の年のことです。中学校が荒れて、周りが困っていました。そこで若者が、素行の悪い中学生をあえて少年班長に据えたのです。役を持たせれば、少なくともお祭りの間は悪さをしない。それが始まりでした。たしか私のいた若者が最初だったと思いますが、そこは自信がありません。

私はこれを、悪いことだとは思いません。むしろ、よく考えたものだと思います。目の前の困りごとに対して、自分たちの頭で役を作り、自分たちで回した。外から言われて作ったのではありません。


つまり、必要があれば役は作れるのです。昔から、そうしてきたのです。

だとすれば、運行の話も安全の話も、同じようにできたはずでした。前の記事に書いた運行表の一件も、外から言われて受け取るのではなく、自分たちの役の中に組み込んで置くことができたはずです。

新しい名前の組織を外に足していくのは、たしかに早い。けれど早い分だけ、なぜその決まりがあるのかは、中の人から離れていきます。


この話も、私の記憶と、あとから調べた分を混ぜて書いています。間違っているところもあるはずです。

ただ、少なくとも一つだけは確かだと思っています。今あるお祭りの形は、昔からそのままだったものではありません。誰かが必要だと思って、その都度、足してきたものです。

そうであるなら、これから足すものも、外に任せずに自分たちで決められるはずなのです。


最後に、提案を書いておきます。

毎年「ほとんど申し送り」で終わる程度の実行委員会や責任者会議であれば、今の形のままなら、有っても無くても変わりません。お祭りの前後だけ集まって、去年の紙を読み上げて、そのまま次へ渡す。それでは、置いてあるだけです。

本当に必要だと思うのなら、作り直すべきです。新しい組織をもう一つ外に足すという話ではありません。今あるものに、きちんと権限を与えるという話です。三日間のための組織ではなく、一年を通していつでも話し合える場にする。三百六十五日、必要なときに集まれる形にする。そして何より、申し送りで終わらせない。

決める場がそこにあって、決めた理由を説明できる人がそこにいる。それだけで、外から言われたものを受け取るしかない状態からは抜けられます。

ここで一つ、断っておきます。私が辞めてから三十年以上が経っています。ですから、今はもう機能しているのかもしれません。ただ、話を聞くかぎり、ひと昔前と何一つ変わっていない気がする。だから提案をしたまでです。

まぁ、今では外野の考えですから、聞く耳は持たれないかもしれません。それでも、提案だけはしておきます。