この時期になると、思うこと
書くべきか迷った。客商売の身で書くことか、とも思った。
だがそれ以上に──
日本のためと思って死んでいった人たちを、私は当たり前のものとして受け取ってきただけだ。
何もしてこなかった自分に、語る資格があるのか。
答えは出ない。出ないまま、書く。
八月になると、テレビも新聞も「戦後」の話でいっぱいになる。
毎年のことだ。
日本は負けた国だから、過ちを認めて清算しなければならない。
戦争は二度と繰り返してはいけない。
そう語られる。
戦争をすべきでないのは、その通りだと思う。
人と人が殺し合っていいはずがない。
ただ、そう言っている今この瞬間も、世界のどこかで人が殺し合っている。
それも本当のことだ。
学校で歴史を習ったとき、あの戦争のことをきちんと話してくれた先生は、
私の記憶にはいない。
なぜ戦争が始まったのか。
なぜ日本は負けたのか。
いちばん知りたかったところは、いつも飛ばされた。
代わりに聞かされたのは、日本がどれだけひどいことをしたかという話ばかりで、
だから負けたのだ、と。
「勝てば官軍、負ければ賊軍」ということばがある。
負けたのだから何を言われても仕方がない。
そう教えられて、八十一年。
夏になると、また同じことを言われる。反省しろ、と。
言い返したいことはある。
けれど、何も調べず、何もしてこなかった私が言い返したところで、
それは反省を求める側と同じ、借りものの言葉になるだけだろう。
正直に書いてしまえば、私はこの時期が苦手だ。
毎年、少し息苦しくなる。
でも、最後には必ずこう思う。
こうして好きな文章を書き、好きなものを作り、
文句まで言いながら暮らしていられるのは、
間違いなく、あの時代を生きた人たちのおかげだ。
戦地で散っていった人。
焼け跡から立ち上がって、この国をもう一度つくり直した人。
その人たちの想いの上に、今日の私の一日がある。
語る資格があるのかは、やはり分からないままだ。
それでも今年も、そのありがたさを噛みしめながら、
この夏を過ごさせていただこうと思う。