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「一度上げたら、消えない魔法」ネットの海を彷徨い続けるデータの真実 -その3-

| Alaudae.JP

3. 深淵を覗く — 大人が背負うべき「責任」の重さ

告白:なぜ「私」がこの警鐘を鳴らすのか

この記事を読んで、私を古くから知る人はこう思うかもしれません。「あのアホで間抜けな奴が、何を偉そうなことを言っているんだ」「何か裏に魂胆でもあるんじゃないか」と。あるいは、突然「リテラシー」なんて高尚な言葉を使い始めた私に、呆れる方もいるでしょう。

「特定の分野に関する情報を正しく理解、解釈、分析し、適切に活用する能力」そんなリテラシーの定義を、お前が語るなど反吐が出ると言われても仕方がありません。

正直に申し上げます。私には子供がいません。25年近く、難病という逃れられない道連れと共に歩んできました。健康な体で家庭を持ち、子供を育てるという選択肢は、私の人生の設計図には描かれませんでした。

しかし、その25年という歳月は、私が「電脳界」というもう一つの世界にどっぷりと浸かり、その変遷を病床から、あるいは画面越しに、誰よりも濃密に見つめ続けてきた時間でもあります。私はITの専門家ではありません。電脳界のすべてを理解しているわけでもない。

ただ、四半世紀にわたってこの世界を彷徨い、見て、触れて、気づいてしまった「違和感」があるのです。それは、今のネット社会が、あまりにも無防備なまま「取り返しのつかない深淵」へと足を踏み入れているという恐怖です。

良い面よりも、見えにくい「悪い面」を語る理由

インターネットは素晴らしい場所です。病で動けない私に世界を見せてくれ、知識を授け、孤独を癒やしてくれました。そこには無限の善意と可能性がある。それは間違いありません。

しかし、光が強ければ強いほど、その影(闇)は濃く、そして深く沈み込みます。良い面は誰でも語ります。しかし、悪い面は巧妙に隠され、一度足を取られると二度と這い上がれない底なし沼のようになっています。特に今のデジタル社会において、その「悪意」はかつてのように単純な嫌がらせではなく、AIによって増幅され、組織化され、一生消えない「刻印」として個人の尊厳を奪う武器に進化してしまいました。

「目に見えない毒」だからこそ、誰かが声を大にして言わなければならない。だから、私はあえて嫌われ役を買い、呆れられるのを承知で、この警鐘を鳴らしているのです。

子供の「即応力」と、大人の「思考停止」

子供たちは驚くほど吸収が早いです。教えられなくてもスマホを使いこなし、最新のアプリに適応していく。その姿は頼もしくもありますが、同時に恐ろしくもあります。彼らは「使い方」は知っていても、その裏にある「力学(リスク)」を知らないからです。

対して、私たち大人はどうでしょうか。
新しい技術が出るたびに「最近のものはよくわからない」「覚えるのが面倒だ」と目を逸らしてはいないでしょうか。
それではダメなのです。

大人が学ぶことを放棄し、思考を止めた瞬間、子供たちは羅針盤のない船で嵐の海に放り出されることになります。大人の役割は、操作方法を教えることではありません。その技術が社会に、そして個人の魂にどんな影響を及ぼすのかを「想像」し、防波堤になることです。