街が廃ればお祭りはできない
子どものころ、近所の年上の人によく言われました。
「お祭りは三日間だが、三日間がお祭りではない。三百六十五日、一年がお祭りなんだ」
当時のわたしはお祭りが好きで好きで仕方がなかったので、一年じゅう楽しめるならそれはそれでいい、くらいの受け取り方をしていました。囃子(はやし)が鳴っていればごきげんで、終わってしまえば来年まで指おり数える。子どもの頭でわかるのは、その程度です。
言葉の意味がわかってきたのは、大人になって、多少なりとも責任のある役をまかされてからでした。
あれは「一年じゅう楽しい」という話ではありませんでした。
「三日間を成り立たせるために、残りの三百六十二日がある」
そういう話だったのです。
では今、一年がお祭りだと考えている人が、この町に何人いるでしょうか。
曳山を引く人は、どこから生まれるのか
神様の祀(まつ)りごとだと立派に宣言してみたところで、何が肝心なのかをわかっていなければ、それは静かに消えていきます。
お祭りをするには、曳山(ひきやま)を引く人が要ります。
では、その人はどこから生まれるのでしょう。
当然、その神様を祀るまわりに住んでいる人たちです。そこに人が住んでいて、はじめて祀れる状態になります。神様だけがいて、まわりに誰も住んでいない土地で、お祭りは成立しません。
そして、その人たちは、そこにいるだけで生きていけるわけではありません。ここが肝心なところだと思います。
人を集めるだけでは足りない
賑やかにするためには、人を集めることが必要になります。ただし、その町内に集めただけでは意味がありません。
集まった人が、そして集めた人が、この先どう過ごしていけるのか。その場所が要ります。つまり生活環境です。
住む家が要る。働く場所が要る。買い物をする店が要る。学校も、病院も要ります。
その環境も、はじめからそこにあるわけではありません。
ものを作る人がいて、それを使う人がいて、余ったぶんを他所へ売る。そこで得た利益が糧になって、ようやくお祭りができます。
順番が、逆なのです
「お祭りをすれば、町が元気になる」
そう思っている人は多いかもしれません。わたしも、子どものころはそう思っていました。
けれど、本当は逆です。
お祭りが街を潤すのではありません。街が潤っているから、お祭りができるのです。
運動会を思いうかべてみてください。
毎日ごはんを食べて、体を動かしているから、当日に走れます。走ったからごはんが食べられるようになるわけではありません。
お祭りも同じです。三日間は「積み重ねた結果」であって、「積み重ねるための道具」ではないのです。
ここを取り違えている人が、案外多いのではないでしょうか。
街が賑わっていない。潤ってもいない。それなのに、祭事だけは立派に賑やかしてくれと言う。順番が逆です。
そして、わたしの見てきたかぎりでは、そう大きな声で言う人ほど、お祭りができるくらいに街を潤わせるための何かを、ふだんはやっていません。
三日間の外側にあるもの
つまり、お祭りとは祭事期間のことではありません。
その神様を祀るまわりの人間が、日々を暮らしていて幸せを感じられている。その状態そのものが、お祭りなのです。三日間は、その結果として立ち上がってくるものにすぎません。
張り番(はりばん)で「町内を賑やかしに来ました」と口上を述べます。形としては何ひとつ間違っていません。わたしも何度も聞きましたし、言う側にいたこともあります。
けれど、シャッターの下りた通りを、人のすがたも見えない場所を、三日間だけ曳山が通っていく。
それで賑やかしたことになるでしょうか。
誰に向かって、賑やかしているのでしょうか。
人が集まる、九つの処
わたしは無知な人間なので、参考になりそうなものを借りてきます。
高野山真言宗 築港高野山 釈迦院に、こういう文句があります。
一 人は、人が集まる処(ところ)へ集まる
二 人は、快適な処へ集まる
三 人は、噂になっている処へ集まる
四 人は、夢の見られる処へ集まる
五 人は、良いもののある処へ集まる
六 人は、満足の得られる処へ集まる
七 人は、自分の為になる処へ集まる
八 人は、感動を求めて集まる
九 人は、心を求めて集まる
商店街の講習会あたりでも一度は聞かされる類の言葉で、正直に言えば、若いころのわたしは「そんなもん、綺麗事だべ」と思って聞いていました。
けれど、並べ直してみると、これはそのままお祭りの話にも当てはまるとわかります。
一から三は、行ってみたくなる理由。
四から六は、もう少しいたいと思う理由。
七から九は、また来たいと思う理由。
そして九つとも、三日間で用意できるものが一つもありません。
噂は、去年の続きです。快適さは、道と店と便所の話です。夢も、感動も、心も、その土地に暮らしている人間が持っていなければ、外から来た人に渡しようがありません。
どれか一つが欠けても、残るのは形だけになります。
形だけのものは、続いているように見えて、実は毎年少しずつ削れていきます。厄介なのは、削れていることがその年にはわからないところです。十年経ってから、まとめてわかります。
では、今の角館はどうでしょうか
観光地なので、人は来ます。けれど、その多くは素通りです。
歩いて、写真を撮って、帰っていきます。
では、来た人がお金を落とす場所は、今どれだけあるでしょうか。落としたお金は、どこへ流れていくのでしょうか。
わたしの知るかぎり、桜並木の有料駐車場のあたりにある土産屋か食堂くらいでしょう。
あのあたりは、旧町内(きゅうちょうない)で考えれば祭事とは無縁の場所です。
旧町内のお祭りだと昔から言う人がいます。わたしも、旧町内に住む同級生たちによく言われたことです。
ならば聞きたい。その旧町内の現状はどうなっているでしょうか。
シャッター通りどころではありません。空き家があり、空き地があり、片付けられないまま野晒しになっている場所もあります。
曳山が通る道の、その両側がそうなっているのです。
担ぎ手が足りないという話は毎年出ます。若い者がいないという話も出ます。
けれど、それは原因ではなく結果です。
人が住めて、働けて、暮らしが回っている場所にしか、担ぎ手は生まれません。
こんな状態の旧町内で、三日間だけ何を賑やかせるというのでしょう。
厳しい言い方になりますが、賑やかしているのは町ではなく、自分たちの気持ちのほうではないでしょうか。
言う資格の話
わたしは三十年ほど前にお祭りへの参加をやめた人間なので、こういうことを言う資格はないのかもしれません。それは自分でもわかっています。
それに、では明日から街をどう潤わせるのかと問われても、わたしに妙案があるわけではありません。ここまで書いておいて情けない話ですが、事実なので書いておきます。
ただ、離れた場所から眺めていると、三日間の外側がどうなっているかのほうがよく見えます。中にいると、三日間のことで手一杯になります。それはそれで当たり前のことです。
だから、外にいる人間の役目として書いておきます。
三日間をどう盛り上げるかの相談は、毎年されます。
三百六十二日をどうするかの相談は、どれだけされているでしょうか。
この道の両側に
最後に、これを読んでいる若い人に聞いてみたいことがあります。
みなさんが大人になったころ、曳山が通るあの道の両側には、何があってほしいですか。
店でしょうか。人が住んでいる家でしょうか。それとも、今と同じ空き地でしょうか。
わたしにはいい考えがありません。けれど、それを考える時間は、みなさんのほうがずっと長く残っています。
お祭りを続けたいと本気で思うのなら、やるべきことは祭事期間の外にあります。
街が廃れれば、お祭りはできません。