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私の「魂」はAI判定できるのか?

| Alaudae.JP

一番自分らしい言葉が「AI」とされる恐怖

自分の文章をAIチェッカーにかけてみた「絶望」

先日、私は自分が運営するブログのある記事を無料の「AI文章判定ツール」にかけてみました。

今やAIが文章を生成できる時代。なら、その逆に「人間が書いたかAIが書いたか」を判定するツールを試してみようという、軽い好奇心からでした。

対象にしたのは、約1,107文字の渾身の記事。翻訳ツールの罠と、私が試行錯誤の末に辿り着いた解決策を綴ったものです。ところが、複数のサイトが出した答えはどれも「AI生成確率 15〜30%未満」という、なんとも不気味で納得のいかない数値でした。

「100%人間」ではないという判定。この中途半端な数字が、私の書き手としての尊厳をじわじわと削るのです。

判定の罠: 読者への配慮が「機械的」とされる理不尽

まずAIが噛みついたのは、意外にも「括弧()や「」の使い方」でした。
私は多言語化(英語やチェコ語への翻訳)を意識し、あえて記号を整理して読みやすく整えていました。これは読み手への配慮であり、効率化のための私の「知恵」です。しかしAIチェッカーは、この論理的なパターンを「機械的だ」と決めつけました。丁寧さが仇となる。この事実に思わず「へぇ~」と乾いた声が出ました。

最も訴えたいこと: AIに否定された「私の記憶」

しかし、何よりも納得がいかず、悲しみと怒りが湧いたのは、AIと判定された箇所こそが、私の人生から溢れ出た「生きた言葉」だったことです。

「私はプログラマーではありません」という、私の存在そのものを定義する言葉。

「AIには機嫌(精度)がある」という、長年翻訳ツールと格闘し、使い倒してきた私だからこそ辿り着いた独自の感覚。

「パズルのように言葉を組み合わせていた」という、かつての泥臭い努力の記憶。

これらはAIが学習データから拾ってきた「それらしい言葉」ではありません。私の時間、私の苦労、私の記憶からしか生まれ得ない言葉です。
それなのにAIチェッカーは「これはAIと人間の混合だ」と告げました。これこそ今回の文章の「ミソ」であり、私ならではのデータなのに、それを「AIしか知らないはずだ」と言わんばかりの判定。これほど鼻持ちならないことはありません。

私たちが持つべき「危機感」: 個性が「平均値」に殺される日

AIチェッカーは過去の膨大なデータとの「類似性」を測るだけの道具です。
しかし、もし今後この「判定」が独り歩きし、「判定率が高いからこの文章は価値がない」とされる社会になったら? それは人間の個性が「統計的な平均値」という名の檻に閉じ込められ、ユニークな表現が排除されることを意味します。

自分の言葉がAI扱いされる。それは、あなたの独自の経験や記憶が「誰にでも生成可能な、安価な代替品」として処理される恐怖です。この進化は人間にとっての「脅威」でしかありません。ツールに自分の価値を決めさせてはいけない。私は今、猛烈にそう感じています。