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選択を誤ると後悔する

これは四十年前の話だ。
今の学校では許されないことも、そのまま書いてある。言われた言葉も、やられたことも、私がやったことも変えていない。
悪い見本として読んでもらいたく思う。都合の悪いところを隠したら意味が無くなるからだ。

これから進路を決める中学生に読んでもらえれば、それが一番いい。
気持ちを整理したく、書き残してみる。


ある高等学校、土曜日の午後の稽古中、いきなり、

顧問:「やる気無いなら帰れ」と怒鳴る。
私の心:真面目な話、ヤル気ないし、好きでも無くなったし、なら帰るか!と「更衣室」に向かい歩き出した。
顧問:「帰るのか?!」と、また怒鳴る。
私の心:ヤル気ないなら帰れと言われたから帰るのに、今度は帰るのか?だって。帰っちゃダメなのかよ!!
顧問:「おし!(差別用語)」「帰るのか?!」
私の心:なんだよ。帰っちゃダメなのかよ!!クソが!!と道場に戻る。

戻りゃ、今度は俺を休ませず、最後まで元立ちをやらせて、集中砲火の如く、いや殆ど虐めだったね。
ある奴なんか、転ばせて締めてくるから落ちた振りをしたら、そのまま起こしてビンタ。その顔を見たら勝ち誇っていたね。

練習終了後、皆んなが言うには、こんな時は「帰りません!」とか「練習させてください!」とか言うのが普通だぞ!と言って笑ってました。
はぁ? こっちは真面目にやっているのに「やる気無いなら帰れ」と言われれば、アホらしくならんのか? どうすれば「やる気」を見せたことになるのか、余計わからなくなった。

今思えば、これを起点に真面目に練習する事が馬鹿らしくなり、本気な練習は辞めました。
そして、なんのために、この高等学校へ来たのか? わからなくなったと言うより、失敗だと思った。

まぁ、実際、もともと工業高等学校へ行く予定だった私を、中学の柔道兼担任だった顧問が、この高等学校へ普通に入学できる能力があることを分かっていたから「工業高等学校でなく、高等学校へ行け!」という。それも受験間近になってからだ。最初は「工業高等学校」なら推薦が無くても大丈夫だ、と言ってたのにね。

もう入学願書提出までしつこいから、仕方なく、イヤイヤ、高等学校を受験。
当時の合格発表はテレビで個人名が流れるので、楽しみにしていたが、前日に高等学校の顧問から電話があり「合格」と母親に伝えられ、母親に「合格」らしいよと言われる。
えっ、合格発表を楽しみにしてたのに、自分で見て知る前に言い渡されたことで、まず一つ楽しみを潰された。

そして入学式、なぜか、私たちの入学から、この高等学校が進学校を目指すらしい。だから授業も9時開始ではなく、8時半開始になるらしい。
はぁ? 進学校を目指す高等学校へ入学する気は無かったよ。進学する気もないし、つまらんのと、入学早々、思っていたことが違っていた。

だからだ、元々、工業高等学校で技術を学ぶ予定が、訳わからん進学授業に変わったので授業がつまらん。勉強する気も起きないから、白紙回答で0点を何回出しただろう……
でも、英語以外は、赤点(40点以下)を出さず、卒業できたけどね。

グレることも考えたが、中学で半グレ連中を大勢見ていたし、グレて群れるのも嫌いだったから不良にはならんかった、と言うより、小学で悪いことを全て行なっていた影響もあるかな。
当時の楽しみは、子供の夢の世界を運営するオヤジとお母さんの店(今は亡き玩具屋「ひつじや」)へ出入り尽くした感じ。

親の影響もあり、途中でパチ屋へこっそり通っていたこともあり、巡回の先生に見つかって怒られても、途中退場はしないで、そのまま続行。
理由は、私は当時も今もタバコは吸わないから。
タバコを吸いながらパチンコをしていると停学になるのに、タバコを吸わないでパチンコをすると注意勧告で終わるなど、意味が理解できなかった。
まぁ、おかげで小遣いには不自由しなかったのが、唯一、嬉しかったね。
今になって思えば、これも「学校に行く意味」を自分で一つずつ捨てていく作業だった。

そんなこんなで、三年の春だ、無理やり、ここに入れた顧問が異動するらしく、春合宿後の帰り、学校の整理を手伝わされる羽目に。
この時、またアホなことを言われた。「お前、隣の市の高等学校へ転校しないか?」と。

はぁ? 何言ってんだこの人と思ったね。「自分の都合で、まだ私を掻き回すのか!」と。でも、そこへ転校する知能はないから、洒落でも言うことではないね。
そして、三年の新学期に別の顧問が来て、適当に部活終了。

後から来た顧問、最初は嫌いだったが、この顧問、卒業後も本当に心配してくれ、就職先を世話してくれる、それはいい先生でしたよ。
ある時「お前は戦国の生まれだったなら、名将になっていたかもな!」とお世辞を言う顧問でした。
逆に私をこの高校へ引っ張った顧問は、公務員試験で都会を選択したら「あとはどうなっても知らんからな」で放置されたよ。

もうこの時点で、この顧問へは、今後は適当にあしらえばいいなと思った。

その後も色々あり、結果的に、オヤジと同業の仕事をすることになったし、ほんとあの時「工業高等学校」へ行けば良かったなと未だに思う。
そう「工業高等学校」へ行けば、知識が増えたはず。


ここまで読むと、悪いのは顧問だと思うかもしれない。
私も長い間、そう思っていた。

でも、私をこの高等学校へ引っ張った顧問は、私が自分で就職先を決めた時「あとはどうなっても知らんからな」で終わりだった。
すすめた人間は、その先の人生の責任までは取らない。取れないんだ。

最後に入学願書で希望校を決めたのは、イヤイヤだろうが、根負けだろうが、私だ。
そして四十年経った今も、この後悔を、打ち込みのように引き摺り歩いている。

だからだ、今回何を言いたいかというと、選択必須の時期に真剣に道を決めないと私みたいに、あとでウダウダ言い放ち、後悔するよと言うこと。
誰かに勧められても、後悔しないように、進学でも就職でも良い、子供の頃から思い描くことを大事に選択する事は必須だと言うことです。

反対されてもいい。
ただ「なぜそこへ行きたいのか」を、自分の言葉で言えるようにしておけ。
言えないなら、まだ考えが足りないということだ。考える時間が残っているということでもある。

大人の言うことが全部まちがいだとも言わない。
私を心配して、卒業後に就職の世話までしてくれた顧問もいた。
話は聞け。そのうえで、決めるのは自分だ。


そんな私の小学、中学での夢は「キングサーモンを釣りながらカナダでログハウスの仕事がしたい」でした。
そう、矢口高雄の「釣りキチ三平」の影響をもろに受けて、それを真剣に考えていたんだよ。
だから柔道なんかしたく無かったんだよ。