人の不幸は蜜の味、他人の不幸は蜜の味
これはわたしが交通事故で福岡の病院で入院中に云われ、意味合いを教えてもらい知った言葉。
それまで全く知らない言の葉で云われてみれば、確かに人は他人や人の不幸には、喜びとは別な味わいある様な表現だと知る。
当然わたしも人の不幸を知ると'ザマみろ'とか'やっぱりな'とか喜ぶというか、嬉しいという気持ちになります。でもそれをいつ迄も思う、広めまくるのは自分も同じ境遇を味わう事になるからしません。
そんなことをいつ迄も思う、考えるのは、その状況から抜け出せない、或いは(この感覚を好むから)抜け出したくないからと思える。
不幸や絶望を味わう経験がない若衆時なら意味知らずしてたと思う、いやしてたはず!
でも突然の不幸や絶望をまとめで一気に経験して抜け出せば、そんな事は考えたくなくなる、考え続けるのはアホらしくなる。又そんな感覚へ陥った時は精神や身体が異常に疲れたから懲り懲りだし、もう、いや絶対したくない。
けどなぜそんな感覚になるんだろうと考えてみる。
これは多分、人間的な考えではなく、自然界の本能的感覚ではないだろうか?
本能?遺伝子的?には子孫を残すのが宿命。
それも少しでも自分の遺伝子を世代へ引き継がすこと。
だから自分より他人が少しでも劣ると知れば、満足感がでるのではないかと思われる。
学力なく無知で思い付く答えなんで正しいかなんて知りません。
けど社会的な気持ちと本能的な思考の経験を積んでみれば、こんな考えに辿りついてしまう。
あるいは'蜜の味'とは自分の鏡だとも云えるかも知れない...
しかし日本の言の葉とは英語と違い表現多く、便利な分難しいなぁ...