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おら東京さ、二十年振りに行ったさ

| Alaudae.JP

福岡銀行東京支店にて問題解決する必要が出たので、2024年6月28日に東京出張に行ってきました。

出発地の角館は曇り空でしたが、新幹線こまちで東京駅に近づくにつれて雨が強くなる。東京駅到着後、海外旅行者だらけということに気づきました。どこに行っても旅行者ばかりです。二十年前には考えられなかった光景で以前からニュースなどで日本への外国人観光客の増加は知っていましたが、実際に目の当たりにするとその多さに驚きました。

本来であれば歩いて福岡銀行東京支店に向かう予定でしたが、大雨のためタクシー移動に変更しました。さすが東京、タクシー乗場は長蛇の列で、乗車までに約10分以上かかりました。しかし、雨の中にもかかわらず、海外旅行者の方達も一言も発さずに列をなす人々の姿は圧巻でした。これはやはり日本ならではの姿なのでしょうか?

東京支店へは東京スクエアガーデン9階に行く必要があり、同行したオフクロは普段見慣れない建物の風景に驚いて、笑っていました。支店では約1時間半ほど滞在し、問題を解決することができました。これで福岡銀行への入金状況をすぐに確認できるようになり、ここでAlaudae.JPの仕事も無事終了。一人なら日帰りで角館に蜻蛉返りするが、このあとはオフクロの希望を叶えるための行動に変わる。しかし、雨は止むことなく、早めのチェックアウトのためにそのままタクシーでホテルへ。

タクシーが向かう宿泊先は"アパホテル&リゾート両国駅タワー"。一度も両国国技館に行ったことがない、オフクロ様が喜ぶだろうとの理由で選ぶ。(相撲大好きだった親父が居ればもっと喜んだろうな)入室後、カーテンを開けたら目の前に両国国技館の屋根が現れた。まさかこんなに近いとは思いもしません。天気さえ良ければ、周辺を散策したかったのですが、新幹線からホテルまで普段歩かない距離を歩いたせいで体が疲れ果てていて、この雨にはある意味助けられたとも言える。

午後から休暇を取った兄がホテルへ到着。私は一階へ迎いに行き、そのままホテル内のコンビニで遅い昼食を購入して、兄と一緒に部屋に戻る。昼食後、兄がオフクロを両国国技館に連れて行ってくれたのですが、私は体が疲れていたので部屋で横になりました。普段歩かない距離を歩いたせいか、なかなか寝付けませんでした。ようやく落ち着いた頃、兄とオフクロが帰ってきたので夕飯をどうしようかとなるも、私はもう歩くのが嫌だったので、ホテルのレストランで済まそうと提案するも、兄がわざわざ駅周辺で持ち帰りできる店に行く。購入したテイクアウト品で済まし、兄は夕食後、一休みしてから帰宅、オフクロと私は部屋でそのまま眠りに落ちた。

翌日は雨が止み、午前中は曇り、午後から快晴となりました。午前11時には兄の家族がホテルに来る予定。

オフクロは、昨日開いてなかった両国国技館の売店での買い物を楽しみにしていた。ならば売店の用事を先に済まそうと午前9時半前に部屋を出る。ホテルから両国国技館までは近いはずでしたが、私には結構な距離に感じられました。それでも、オフクロの楽しみなので頑張って歩きました。

両国国技館に午前10時に到着しましたが、売店への入り口が分からず、警備員に尋ねると、そこが入り口らしく警備員に確認後、すぐに売店が開店。私は豊国稲荷神社を撮影した後、売店へ。オフクロが欲しいものは、名古屋場所が近いこともあり、すべてはなかったが、それでも十分に買い物を楽しめたようでした。両国国技館の売店で買い物を終えた後、午前10時半頃にホテルに戻る。

オフクロと私は部屋に戻らず、午前11時に来る兄の家族を1階のラウンジで待つことにしました。都会の人たちは時間厳守だと思っていたのですが、午前11時過ぎても現れない。(他人には厳しいが、自分には甘いらしい)午前11時5分頃に兄から電話があり、これからタクシーに乗り、10分ほどで到着するとのこと。私は呆れましたが、待つしかありません。程なく、兄が見えて家族全員が入ってきました。

簡単な挨拶を交わした後、これからどうするのかと兄に尋ねると、ホテル内の施設を利用するらしいが、まだ営業時間は始まっておらず、兄の家族は多忙なのか分からんが、オフクロと孫の記念撮影だけを終えると、兄を残して駅に向かう。その時間は5〜10分程度だったと思う。オフクロは孫と話したくて、自分の誕生日が7月3日で81歳になることを伝えたのですが、秋田弁なのでうまく伝わらず、悲しいことに孫たちも全く反応無し。それを見た私はイライラして"そんなに忙しいなら来なかったほうが良かったんじゃない"と孫達へ話しかけた。(中途半端に秋田弁だから、多分伝わってません)一番訳分からないのが兄嫁で、旦那一族を軽蔑しているはずなのに同行、その後私たちと行動を共にする様な服装でしたが、これは私の勘違いで、兄嫁はそのまま孫たちと駅に向かっていく。私はその様子を見て"本当にこの人たちは何しに来たんだろう"と不快になりましたが、オフクロの気持ちを考えると我慢した。

そりゃそうだ、オフクロは2、3年前に大腸癌が見つかり、緊急手術を受けて体調も良好になり、親父の50日祭(49日の法要)以来十年以上、会えない孫の顔を見たくて、私に無謀な我儘を言って東京に来たんだから。でも兄嫁と孫たちは突然押しかけてきた父親の家族一行としか、捉えてない模様で、ただ顔見せりゃ良いって感じ。一応、二週間前に東京へ行くと兄には伝えてある。また前日に兄からこんな状況になるとは聞いていたが、実際目の前でこんな状況を経験すると、まさに"血筋は水の如き"と思う他ない。兄の家族が弟の私に冷たい仕打ちはすることは全く構わない。仮に兄嫁が旦那の一族と結婚した訳でないと思っていたとしても、もう少し旦那の生みの親のオフクロには感謝すべきだろう。旦那のルーツがあるからこそ、兄嫁が出会い結婚できたんだから!これは孫達にも同様に言える。自分のルーツの祖母(オフクロ)にいい年した孫がこんな仕打ちするのは、後々自分達にもブーメランで突き刺さることを覚悟すべきだろう。私は難病で結婚子育てする機会は未だにない。しかし、あってもここまで理解できない子育てはしないと思う。それ位に不快な思いでした。

そんなこんなで、オフクロと孫との十年以来の再会するもあっという間に終了したので滞在時間が無駄に余る。だから兄に残り時間をなるべく歩かず東京見物できそうなコース設定をお願いした。しかし仕事が生き甲斐で健康体な兄には大変な要望だったらしい。お願いした私も悪かったのかもしれない。昼飯の釜飯は大変美味しかった。けど3~4000歩以上歩かせられ、浅草神社の二天門で私は転倒。それでも東京スカイツリー見える隅田川まで歩かされる思わなかったよ。だからもう歩けないと兄に伝えて、理解したのかは知らんが、そこからタクシーで上野駅へ向かい、熱って疲れた身体を冷やしたく、駅構内でかき氷を食べた後、改札口で兄と別れ、そのまま新幹線に乗り込んだ。

新幹線では、オフクロ様(私と同様に疲れ切っていたが)と角館駅に着くまで、途切れ、途切れだったが会話をした。だって一眠りすると、身体が強張り動けなくなるからね。

この東京出張で気づいたことは、人生、楽しいこともあれば、辛いこともあるが、"血筋は水の如き"と、現代社会は血筋より、明日生きる自分が大事ということ