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PPバンドの織り目と、Joomla! 6.xの静寂。

| Alaudae.JP

カタカナの迷宮に住まう私の「構造」哲学。

この画像はAIで生成しました。

最近、私は二つの異なる「構造体」の間を行き来している。
一つは、もはや空気のように軽やかになったJoomla! 6.xの管理画面。そしてもう一つは、PPバンドとジグ(治具)を駆使して組み上げる、無機質で規則正しいクラフトの世界だ。

かつてのJoomla!、特に6.x以前は、私にとって終わりのない「デバッグの戦場」だった。バグを一つ潰せば、その死骸から新たなエラーが這い出し、私の人生の時間はシステムの修復という泥沼に溶けて消えた。文章を書く余裕など、当時の私の脳内には1ビットも残っていなかったのだ。

しかし、Joomla! 6.xの到来とともに、世界は不気味なほどの静寂に包まれた。運営が楽になりすぎてしまったのだ。そこで生まれた「時間の余裕」という名の贅沢な空白。私は今、その空白の多くを「手芸サイト(というより構造物制作サイト)」の構築に注ぎ込んでいる。指先が触れるのは、キーボードだけではない。PPバンドの硬質なエッジ、そして正確なピッチを刻むために自作したジグの感触。その論理的な作業が、私の脳をさらに加速させる。

だが、そこで私は奇妙な違和感に直面することになる。ブログを更新しようとすると、画面を埋め尽くすのは暴力的なまでのカタカナの数々だ。
「バグ」「エラー」「ツール」「ユーザー」……。それだけではない。「ファイナンシャル・プランナー」「イノベーション」「ユーザーインターフェース」。さらには制作現場から「ポリプロピレン」「インダストリアル」「モジュール」といった単語までが、まるで前衛芸術のように溢れ出してくる。

これを無理に美しい漢字へと「矯正」してみる。……途端に、文章は血の気を失い、江戸時代の役人が書いたような、堅苦しく嫌らしい「報告書」へと変貌する。では英語で綴るか? いや、それでは私の思考の繊細なニュアンスは霧散し、結局自分が何を叫びたかったのかさえ分からなくなる。

試行錯誤の果てに、私は一つの「諦念」に辿り着いた。
文豪のような格調高い文章? そんなものは、私の脳内には存在しない。私の語彙など、所詮はこの程度のものだ。

大事なのは、小手先の技法ではない。PPバンドをジグに固定し、一糸乱れぬ構造を編み上げるように、私の脊髄が反射的に選んだカタカナ語を、その時の気分のままに並べていくことだ。不格好なカタカナの羅列? 結構なことだ。デジタルなシステム管理と、無機質なPPバンドの編み込み。その狭間を彷徨い、Joomla!に魂を預けた男の、これが偽らざる「正体」なのだから。

「変な奴だ」と思われても構わない。私は、私の思うままに、このカタカナの迷宮を突き進む。それが、私の生きる構造(ロジック)なのだ。